義経と静の会


設立の主旨にかえて
(山波言太郎)


  もしかして、義経はジンギス汗? もしそうなら・・・・・・・・・・・・
 義経と静の悲運・悲恋の生涯と考えられていたものは、破天荒の世界史展開の序曲だったのではないか? 私達はその真実を尋ねて、源義経と静御前の天命の成就と顕彰のためここに集い、この会をつくります。
  2008年4月13日、第50回「鎌倉まつり」で、義経と静は、源頼朝と政子の後ろに並び武者行列をつくり若宮大路を歩みました。(これは頼朝にとり許されぬことです。義経と静には耐えきれぬ悲運・悲恋の重みです。)義経は823年ぶりに鎌倉に入ったのである。この破天荒の事実は何を語るのか。頼朝と義経・静との和解がこの日から成就したのでしょうか。
  三人の和解の意味するものは、三者に一つの「天命」が重なってあったこと。 - 頼朝は「天命」により、邪険に義経を追う役、静を傷つける役。義経は「天命」でモンゴールへ渡り、天下を一つに結ぶ綱を地球に張り渡す始めの仕事。静は「天命」に身を委ねて、身を水に沈め、義経の天命の成就を祈る役。三者三様に一つながりの「天命」を守り尽したので、満願成就。今、鎌倉の若宮大路を三人がそろって、武者行列を組んで、2008年4月13日に歩んだ。
  満願成就の暁に、残された仕事は、今の私達が引きとって若宮大路から、地球の隅々にまで、もののふ心の隊列を世の人々の心の深奥にまで、送り届ける仕事。この仕事の発進地を日本の鎌倉市と定める。