書籍『人は神』から〈第六章 一番よいスイッチを押せ〉の感想をご紹介

人は神 ワンネス・ブック シリーズ 3
人は神
桑原啓善
¥1,200+税 2017.6.20(新装版)

 

この『人は神』の書籍は、桑原啓善(ペンネーム:山波言太郎 やまなみ げんたろう)が、スピリチュアリズムを学ぶために集まった人々を対象に話した講話の集成です。

 

この講話は一部ビデオとして記録されており、「第六章 一番よいスイッチを押せ」の基になった講演ビデオを、桑原啓善ビデオ会(タイトル:「一番よいスイッチを押せ」)として全国で開催しました。
このビデオ会に参加された方々からいただいた感想の一部と、「第六章 一番よいスイッチを押せ」の本文を一部ご紹介します。

 


まず、「第六章 一番よいスイッチを押せ」の本文を一部ご紹介します。

人生とは愛を知るための学校

 

誰ひとり幸福を求めない人はこの世にいません。お金が欲しいとか、家が欲しいとか、出世したいとか、健康になりたいとか、美人になりたいとか、子供ならあの玩具が欲しいとか、それぞれの夢を何かに託して幸福を求めます。  でも、欲も得もない人もいます。この世を捨てたような、何も欲しがらない人です。しかし、彼が人間である限り、やはり幸福は人後におちず求めているのです。  昔、今から二千三百年前に、アレキサンダー大王という人がいました。ご存じと思います。ヨーロッパ・アフリカ・アジアにかけて大帝国を築いた大王です。この人がギリシャに賢人がいると聞いて会いに行きました。ところが、その賢人は素裸で樽の中に住んでいるのです。しかし、いろいろ話をしてみると、たしかに優れた人物です。すっかり感動した大王は、貴方の望むものは何でも叶えてあげようと言いました。するとその賢人は、「すまないが、そこをちょっとどいてくれませんか、陽が当たらないので」と言ったそうです。  この賢人はディオゲネスという哲人ですが、彼だって幸福を求めていたのです。つまり陽の当たること、大自然と一緒に生きること。金も名誉も家もいらないが、精神の自由の中に生きていることです。  人によって求める幸福は違っています。ある人は金や物です。ある人は健康や美貌です。しかし、ある人はこれら物質や肉体とは違って、精神的・霊的なものです。しかし、彼が何かを欲しがっていることは、つまり喜び、すなわち幸福を求めている点ではまったく同じことです。  この幸福を求める心理が、誰しもの心の底にあるので人は救われるのです。幸福とは喜びですね。無上の喜びとは神の中にあります。すべてを創造なされたその方こそ、最高の喜び、すなわち幸福の宝庫です。ですから、人が幸福を求めるとは、神に近づくこと、神と一つになることの願いです。すなわち人間のスピリット(霊)の親である神に人間が帰ろうとする悲願です。それこそ神が求めておいでになる〈神の大いなる意志〉であり、これあればこそ、人は神に近づき、ついに神になり、また無上の幸福を手にして、救われるのです。  さて、人間は幸福を求めているとはいえ、その幸福を得ているでしょうか? 答えはいつだって「ノー」ですね。何となれば、求めても求めても、いつも幸福はこれぞと思って握ったそのものではなく、もっと先の方でこちらを振り返っています。なぜでしょう?  私は人生は「もぐら叩き」と思っています。もぐら叩きという玩具があります。穴から一つのもぐらが首を出すから、槌で打つと引っ込むのですが、今度は別の穴から別のもぐらが首を出すのです。それを叩くと引っ込みますが、さらに別の穴から別のもぐらが首を出します。素早く叩いて、一つも首を出すもぐらがないようにすればいいのですが、なかなかそうはいきません。  私達は病気になると、この病気さえ治れば幸福になると必死になります。さて、それが治ると、今度は事業が左前になりかけているので、これさえ立ち直ればとまた必死になります。それがうまくいくと、今度は家庭内の不和とか、子供がぐれたとか、対人関係がうまくいかぬとか、苦労は際限がありません。ちょっと良い時期があってほっとしても、ほんの一時で、すぐに何かの苦労が起こってきます。そのたびに人は必死になり、時には身も世もないほど苦しみます。なぜでしょう? これでは神に近づくなど、本当に幸福になるなど思いもよらぬではありませんか。  だから、私は「人生はもぐら叩き」と呼びます。もぐら叩きは愚です。この愚行の繰り返しが人生です。人間がこのように愚であるのは、肝心の一事を忘れているからです。すなわち、幸福の源泉は神であるということです。そうして、その分身が自己の内部にあるという真理です。この真理を「霊主肉従」の霊的真理とか、「神の国は内部にある」とか表現できます。つまり、自己の魂を磨けば、本来神性であるその神性が光を発し、神のようになるのです。すなわち、神ご自身の無上の幸福と同じものが自分の中で発生するのです。これが神に近づくとか、神と一つになるとか、神の子である人間が神々になるとかいうことです。魂を磨くこの一事が私達を幸福にするただ一つの道です。魂が光る時、その光に応じた分だけの、肉体の調和、現実社会での物質生活や対人関係の調和が表現されるのです。これが「霊主肉従」とか「神の国は内部にある」とかという不変の霊的真理です。  右の霊的真理を忘れているのが、「人生はもぐら叩き」です。忘れている間は、無限にもぐら叩きの愚行が続きます。それは、幸福とは物質的肉体的なものだと、物質の目で幸福や人生を見ているからです。人生とは魂を磨く学校です。その魂を磨くことを、つまり何よりも魂を大切にする霊の目をもって、幸福を、人生を見る時、人生は一変します。「霊主肉従」の霊的真理が働きはじめて、その人の心身、生活全般の調和、つまり本当の幸福への道が展開し始めます。実は、人生とはこのことを学ぶための学校です。このことを知って、もぐら叩きをやめて、本当の幸福へと入って行くための学校です。すなわち、幸福の源泉は神であるということ、これに近づくには、その分身である自己の魂を磨くということ、このことを学ぶための学校です。そうして、魂を磨くとは「愛に生きること」です。何となれば、神は愛であり、その分身である私達神の子も同じ神性、愛だからです。ですから、人生とは、「愛を学ぶための学校」といえます。そのことを私達は、人生の二つの裁きによって、いやというほど思い知らされているのです。


ビデオ会に参加された方々からいただいた感想の一部をご紹介

 

●金沢ビデオ会のアンケートより
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◆以前より”スピリチュアル”には興味がありましたが、今回のビデオを見て(聴いて)…改めて”愛”について考えさせられました。(とてもわかりやすかったです。)日常の生活をしていると、この様な心(愛と奉仕)でいることを忘れてしまいがちですが、今日をきっかけに”スイッチを押したい”と強く思います。ありがとうございました。

◆前回にも見たことのあるビデオでしたが、また新たな発見がありました。将来、教員を目指しているということもあり、塾でアルバイトをしていますが、やはり、生徒の中には周りにめいわくをかけるような子もいて、接しにくく、苦手意識があり、あまり好きではない子がいました。しかし、今回のビデオを見て、「汝の敵を愛せよ」という教えを聴き、教師という立場からではなく、人として一人一人の子の神性を見ていかなければならないと思いました。非常に勉強になりました。本当にありがとうございました。

◆”なんじの敵を愛せよ”が心にぐさっとひっかかりました。現状、職場で一番嫌いな方(従業員からも嫌われている現状)を神の子と思う、そう見て語る(まずは思う事からスタート)努力をしよう。私が、今の職場に転職する事になったのはそのためだとわかった。この空気のわるい職場にげんめつしている現状。まず私が、神の子として見る、努力によって相手が神の子に変わり従業員も変わり、世界が変わる。とストンとふにおちました。


●福岡ビデオ会のアンケートより
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◆職場でスムーズに仕事が行かない時などつい、相手(一緒に仕事をしている人)のせいにしてしまい、またそれが上司だと当然のように上司のくせに…と思うことなどしばしばあります。自分と敵対しているような人は今はいませんが、好きな人、イヤな人はいます。なかなかきらいな人を好きになるのは難しいとは思いますが、今日このビデオを観て、すこし努力してみようという気持ちになりました。

◆汝の敵を愛すると言う事が人類に課せられた永遠のテーマであり、全ての根本であると思います。言葉に出して頭で考える事はたやすくとも、いざ本気で自分の敵を愛するという事は非常に難しいと思います。しっかりした信念の下、腹を据えて本気で行わないとすぐざせつしてしまいそうです。しかし人類がそれを本気で思える時、戦争は消えて行くのだと思います。人間は幸福を希求しているのは良くわかります。それは恐らく物質的なものではなく、精神的なもの。それはつまり愛ではないのかと思いました。神の電力会社の例え話は良くわかり愛という電力を常に供給しており、スイッチを入れればいつでも通じる事が出来る。自分で本気で行わないと決して通じる事がないつまり人頼みにしてはいけない自立する事が基本であると思いました。 常不軽菩薩の話は宮沢賢治の物語とオーバーラップして感動しました。

◆山波先生のお話を聞いて私は気付かさせられました。職場で色々とあり、どうしていつも私だけ色々と言われたりするのだと思っていました。今日のビデオを見て、私は相手の欠点ばかりを見ていた事に気付かされました。今、私は相手の長所を見ようと決心しました。敵を愛する事は本当にむつかしいですが、自分の努力次第で自分も相手も世界が変わるという事。今日はとても心に響いてきました。ありがとうございました。


●名古屋ビデオ会のアンケートより
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◆「武器ではなく愛で守る」本当にできるの? どうやって? せいぜい自分が相手を攻撃しなくなる、相手が気を許すようになる、この位かなと思っていた。 しかし人は偉大な事ができる力を有していてそれが仕事の一つだと判った。それは相手の中に神を見てそれを愛せば相手もやがて神になる、人を神の子に戻す力がある。 当人の前でできなくても居ない所で光を拝む、当人の長所を見て神をその中に見る努力をする、これで一人ずつ変わって行きやがては世界が変わる。でも私の中に「人は神の子」の確信がなければならない。でも無くても先生がそう言うんだからやって行こう、やがて体験が確信を与えてくれると思う。

◆相手の神性を見るということは、相手の良い所を見ること(つまり、常に相手のことを良い方向に感じながら気にかけているということ?)を続けることで、相手とのコミュニケーションを良い関係に持っていくことができる、ということなのかなと思いました。 全ての人がこのような状態になることができれば、世界が平和になるということなのかなと感じました。エネルギーをいただいたような感じでした。ありがとうございました。

◆人にいつも何か言われたりすると仕返ししたり、ほんとに反省しない日々でした。 それでも人の良い所だけ見ていくと云う事、反省していく事、実行してみます。

◆「汝の敵を愛せよ」最高級の愛を持てるようがんばりたい。 みなさん一人一人真剣に生きておられると思いました。 本当に世界が全体幸せになりますように、と涙を流される方もいて、本当によいビデオ会だったです。


●大阪ビデオ会のアンケートより
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◆ビデオ「一番よいスイッチを押せ」を拝聴しいくつかの気付きを与えられました。 この世に○○○億といるという霊は目に見えないのでわかりづらいですが、この霊はユングのいう集合的無意識(無意識の更に奥底にある人類共通のもの)だと思いました。私たちは霊(=無意識)の影響で思い、動かされていると理解できます。 また、反省についてですが、”相手の神性=長所”をみられたかどうかを基準にすればよいということで反省の指針を持つことができました。 そして、”愛の三段階”という教えで、「汝の敵を愛せよ」は本当に実行が難しいと思いますが相手の長所をみつけ、長所のみを見続ける(人はだれも長所と短所をもっているから)ことで少しでも近付いていけるようだと思いました。

◆初めて話しを聞いたものです。 常に良い行いをする。し続けることの重要性はよく理解できました。 「情けは人の為ならず」という態度はもち続けることで「スイッチ」を押すことになるのではと思いました。 故マンデラ南アフリカ大統領の行動、自分の命を狙っていたと思う人達を「ボディーガード」にしたことを思い出しました。

◆毎朝今日は、今日こそは愛と奉仕でと思い気合いを入れて起きたはずなのに毎晩反省は本当に反省ばかりで自分は何も出来なかった、あれもこれも出来なかったと落込む毎日です。 目の前のことしか見えていない自分に常に深く見えるようになりたいと思う毎日です。 「スイッチ」を押し、消すことがない自分でありたいと今日の先生のお話で改めて感じました。

◆愛に生きる、奉仕に生きるというのが自分には遠大な事と思えましたが、日常でもできる「人の長所をみる」ということを教えてもらえました。 私は人を恐れたり、憎むことが多いので、すこしずつでもやっていきたいです。苦行ではなく、幸福を求めることなんだってことをよく考えたいです。

◆現在社会に住む色々な困難をのりこえるのにいいヒントを与えて下さっています。 心のスイッチを押すことがいかにむつかしく大切な事だと思いますが、日々努力して愛と奉仕で残り少ない人生を世の為人の為に努めていかねばと思います。とてもわかりやすくお話しして下さっています。

◆スイッチの話がとても分かりやすい表現だと感じました。行動を起こさない理由付けは数えきれない程あるけれど、「スイッチ」はいつでも押せる所にある。押すも押さないも自分の意志だと。耳の痛い内容ですが「善い想い」「善い行動」には守護してくれる霊がいつでも導いてくれること。逆に「悪い想い」には悪い霊がすぐに感応し、発言も行動もあやつられること、日々実感します。毎日反省をし、広く、人を愛せる自分になりたいと願います。


●盛岡ビデオ会のアンケートより
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◆「汝の敵を愛せよ」というところがとても響いた。常不軽菩薩の話もとてもよかった。またそのあと「愛する」ということは「相手の神性を見ること」という具体的な話まで出た。さらに恋愛に例えた話まで出たのには驚いたが、言われてみると確かにそうだろうと思う。結局のところ、相手の中の神性を見れば「一番良いところだけ見て他は見ない」というその通りに生きるならば、自分の身に危険が及ぶこともなく、他者ともうまくやっていけるということ。自分の中に課題があって、「どうしてかなー」とモヤモヤしていた事があったが、まさに自分にこの事を教えるためにそうなっていたのかもしれないと思い、気持ちが晴れた。必要があって教えていただいてたのだと思う。非常に面白かった。

◆「相手の長所のみをみる」ということだけでも実践してみたいと思う。

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